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射精もしないで生きるということは、男性ではなく、ただ食べて寝るだけの生き物になるということ。

身体障害者のひとたちの性欲について話をすることがタブーとされていることについては、前になにかの記事を読んで知ってましたが

乙武氏「地獄の苦しみだった」 タブー視されてきた“障害者の性”、当事者が抱える苦悩と課題とは

四肢になんらかのトラブルを抱えているひとは、自慰行為することもできないという、当たり前のことを思い知らされてショックを受けました。


「性」のことであっても、自分で処理できないものを第三者が「ケア」するということは、福祉の一環と思えるので、

同じ人が、通常のケアのついでに行うという意味ではなく、

通常のケアとは、別のケアとして、福祉の活動の一部として組み込めばいいのでは、と感じました。


ただ、自分が障害を持っているということを弱みにして相手につけ込むのは、

それをしてくれという側も、してしまう側も、双方が間違っています。


乙武氏も言っているように
<抜粋>
「この問題を語る時に、健常者とどこが違うのかということはひとつ重要なものさしになってくると思う。
~~~
物理的にどうしてもできない部分には、他者のケアが必要だというのは正論だと思う。

しかし、相手に服を脱いでほしい・体に触れたいというのは
~~~
なぜ障害者だけ支援してもらえるのかというのはややこしい話になるので、明確に分けて語るべき」

ということは、ああ、当たり前のことを言っているなぁと思います。


この記事で、「麻美ゆま」がコメントしていて、その内容とは関係なく思ったのですが、女性も「性欲」はあるのでしょうが

でも、障害のある男性の「性欲」より、もっと語られづらいものであり、ケアという手段を作ってみても、

それは、「ケア」なのか「暴行」なのか、線引きができないものになってしまいそうです。


自分で処理できないということに、男女に違いがあるわけではないのに。

いまでは、ほぼ無くなりましたが、もっと若いときには、夢精をして、風呂場に駆け込み夜中にパンツを洗った事も

処理が大変で、股から下腹にかけて、べっとりついたものを洗い流して、洗ったパンツは、部屋にこっそり干したりしました。

いまでも2週間に数回はマスをするけれども、夢精の処理も含めて、自分でできないうえに「性欲」という非常に「超」個人的なことを

親や家族に見られる・知られることは、


ながぶちは、東京にあこがれて○にたいくらいだったのでしょうが、ぼくは、それをどうしようもなく晒されることで、

○にたいくらいの恥ずかしさと屈辱感を感じると思います。

実際にはあるのに、闇であることをオープンできることで、少しでもマシになるのなら、いいな。


「きちんと管理していることで叩かれるなんて…」生理日予測アプリの“中の人”が思うこと

女性はもっと、むずかしい。・・・
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